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1.課長補佐
松山浩二は株式会社Gフードサービスの社員である。Gフードサービスは会社、官公庁、工場、大学などの社員食堂、学生食堂を運営、また、病院や老人ホームに病院食を提供する給食サービス会社である。松山は、これまでのマジメな仕事ぶりが評価され、大手一流企業・K社の社員食堂のマネージャーに就任した。Gフードサービスは、今や日本有数の大企業となったK社と契約を結び、社員への食事提供を請け負っている。社員にとって、家庭の次に食事をする機会が多いのが社員食堂だ。いわば「第2の食卓」だ。都心にそびえ立つ三十数階の超高層ビルの地下一階にK社の社員食堂がある。在館人数数千名の大所帯≠セ。社員においしい食事を提供すれば、社員から直々に感謝の言葉をもらえる・・・。松山は、この仕事にやりがいを感じていた。
松山は物心ついたときからロングブーツフェチだった。幼少の頃からTVの歌番組で、シルバーのロングブーツを履いて激しく動きながら歌うピンクレディーの姿に興奮していた。そして、時を経て社会人となった現在も食堂に足を運ぶ若手女性社員達のブーツ鑑賞≠それなりに楽しんでいた。
だが、肝心の自分自身の職場内に目を向けると、さみしいものであった。調理員は男性が多い上、みんな仕事中は白の長靴姿だ。女性従業員といえばパートで働く皿洗いや、調理手伝いのオバさんばかりだ。歯が欠けたオバさんの白長靴姿を見ても興奮するはずがなかった。しかし、そんな中・・・、定期的に食堂に訪れる一人の女性が松山を興奮させた。K社厚生部の課長補佐・吉野典子だ。典子は厚生部で社員食堂の運営管理を担当している。そのため、定期的に食堂に顔を出すのだ。
「これは、これは、吉野課長補佐。いつ見てもお美しい・・・。」
松山が、いつものように両手をスリ合わせたゴマスリポーズ≠ナ出迎えた。
(フフン、当然よ!)
口には出さなくても、態度が見るからにそういう雰囲気を出していた。
「フフッ。私のおぼっちゃまもようやく就職が決まってねぇ。ホッとしたわ。」
「それは、それは、おめでとうございます。」
松山のモミ手スリスリ≠ェ激しくなった。課長補佐、吉野典子・47歳。だが、典子はとてもこの春、大学を卒業して就職する息子がいるとは思えない美貌と抜群のプロポーションを誇っていた。三十代の前半、それも女優といっても通りそうである。熟練した色気を常に漂わせていた。そして、足元は当然のようにロングブーツを履いて歩いた。典子は、秋は9月半ばから春先は4月のゴールデンウィーク直前まで、シーズン目一杯、社内でブーツ姿を披露≠オた。黒はもちろんのこと、茶色・キャラメル色のロングブーツもキレイに履きこなし、その姿から相当のブーツ好きであることがうかがわれた。
「フフフ。しっかり頼むわよ!」
「オイーッス!」
白の割烹着姿に白長靴姿で、せっせと調理作業に励む従業員たちが並ぶ前を腰に両手を当てながら優雅にブランド物の黒皮ロングブーツ姿でヒールの音を響かせながら、厨房を視察≠オた。まるで格の違いを見せつけている雰囲気だった。
「フフフ。足元までぬかりないのがホントのイイ女よ!」
「はぁ。ごもっともでございます。(モミ手スリスリッスリスリッ)」
松山は、典子に付き添いながら、熟女・人妻の美脚ブーツ姿に興奮した。

2. ブーツの罠
「松山さ〜ん!更衣室の蛍光灯が切れちゃいました。交換お願いしてもいいですかぁ?」
食堂の管理栄養士・川尻恵利香が知らせてきた。
「更衣室かぁ・・・。今は、人はいないの?」
「ハイッ!今なら大丈夫ですよ♪」
「分かった!じゃぁ、今やるよ!」
「お願いしま〜す♪」
恵利香は大学の家政学部で栄養学を学び、管理栄養士の資格を取得。卒業後、Gフードサービスに就職した。まだ、入社2年目の24歳だが、K社社員食堂で食材の発注、検品、在庫管理を担当している。社員に好評の食堂メニューも、管理栄養士の恵利香が発案し、提供しているものである。いわばエリートだ。この職場で、マネージャーの松山と管理栄養士の恵利香だけは白長靴≠ニは無縁だった。おまけに、恵利香は社内でも5本の指に入る美人社員である。整った顔立ちに均整のとれたプロポーションは、そのままファッション雑誌の表紙を飾れそうである。学生時代は芸能界からもスカウトされたほどだ。オバさんばかりのこの職場にあって、恵利香は事実上の紅一点≠セった。その恵利香の頼みなら断るわけにはいかない。松山は脚立と蛍光灯を持って女子更衣室に向かった。マネージャーとして、もう食堂を隅から隅まで知り尽くしたつもりの松山だったが、考えてみれば女子トイレと女子更衣室だけは未知の世界≠セった。誰もいないとはいえ一応ノックをして女子更衣室のドアを開けた。試しにスイッチを入り切りしてみたが、かすかに青白く蛍光灯が光るだけであった。その球切れ直前のわずかな薄明かりを頼りに松山が更衣室に入った。脚立を立て、昇った松山が、天井に付いた40ワットの長い蛍光灯を外し、持参した新品の蛍光灯に取り換えた。
"パッ!"
薄暗かった女子更衣室は、いっぺんに明るくなった。
「コレでヨシッと!」
その時、脚立から降り、折り畳んで、更衣室から出ようとした松山の視界に一足のロングブーツが飛び込んできた。縦長のロッカーが横一列に並ぶ中、黒皮の『ポールサイド』の高級感漂うロングブーツがロッカーに寄り添うようにしてそびえ立っていた。
「ハッ!?」
目を大きく開いた松山が、ロングブーツの位置から目線をそのまま上に動かしていった。その先には『川尻』の名札があった。
「エ、エリカちゃん?!エリカちゃんのブーツだ!」
興奮した松山が脚立と蛍光灯から手を放し、恵利香のロングブーツに寄り添った。
「エリカちゃ〜ん!ハァ!ハァ!知らなかったよー。キミがブーツ履いて来てるなんてさぁ・・・。ハァハァ!」
松山は、脇目も降らず、恵利香のブーツを貪った。迂闊だった・・・。恵理香はいつも松山より早く出社し、遅く退社していた。そのためブーツを履いて職場に来ていることはいままで気付かなかった。
「砂漠の中のオアシス」・「掃き溜めに鶴」・「灯台下暗し」・・・。松山の脳裏にさまざまな言葉が思い浮かんだ。もう、白の長靴しか縁がないと諦めきっていたこの職場で、アイドル社員の恵利香が愛用するロングブーツを堪能できたのだ。興奮するのも無理のないことだった。
「エリカちゃ〜ん!カワイイよー!ハァハァ!」
松山は恵利香のブーツを執拗に貪り続けた。自分が罠≠ノはめられたことも気付かずに・・・。その姿はドアの隙間から恵利香にしっかりとのぞかれていた。

3. 生け贄
恵利香のロングブーツを十分に貪った松山だったが、仕事上で、どうしても彼女に直接話して確かめなくてはならない不審な点が浮かび上がっていた。それは、オーナーサイドの典子も交えて話さなくてはならない内容のものだった。
まず、典子と相談した結果、他の従業員に聞かれてはまずいので、更衣室で話そうということになった。更衣室なら社員が来る時間が限られているからというのが典子の説明だった。一足先に一人で女子更衣室に入った松山だったが、当然のごとく、恵利香のロングブーツに目がいってしまう。
(今日はダメだ!これから二人が来るんだから・・・)
チラチラ目線をブーツに向けながら懸命に貪りたい気持ちを抑えていた松山だったが、その時、突然、更衣室内で聞き覚えのある携帯着メロが鳴った。
≪♪好きよ♪好きよ♪ウッフゥーン♪・・・・≫
松山は、かつての人気アニメ・うる星やつらのテーマソングを着メロにしていた。主人公のラムちゃんがお気に入りだったからだ。
「エッ?!一体どこから鳴ってるんだ?」
しばらくあたりをキョロキョロしていたが、着メロは恵利香のロングブーツの中から聞こえてきていた。
「ま、まさか・・・?!」
松山が恐る恐る恵利香のロングブーツの中に手を入れた。そして携帯らしき物体≠中から取り出した。出てきたのは、まぎれもなく松山の携帯電話だった。
「?!エッ?!な、何でオレの携帯が・・・、エリカちゃんのブーツの中に・・・」
松山が、ソワソワしていると、更衣室の外からロングブーツのヒール音が聞こえてきた。ヒール音は徐々に大きくなった。
「吉野課長補佐だ!」
松山はそう思ったが・・・
「フッフッフッフッフ。お待たせしました。」
現れたのは恵利香だった。更衣室にロングブーツが置いてあるにもかかわらず、彼女の足元は新品ピカピカでこげ茶色の『ポールサイド』のロングブーツ姿だった。そして松山の携帯電話を鳴らしていたのも恵利香だった。
「エ、エリカちゃん・・・?!」
携帯といい、一体どういうことだ?自然と松山の視線は双方のロングブーツを行き来した。
「フフフ。ビックリしたかしら?でも、これからもっとビックリしてもらうことになるけど・・・クッフッフッフッフ。」
恵利香が口元に奇妙な笑みを浮かべた。まもなく典子も黒皮のロングブーツにハーフパンツ姿で現れた。
「みんな、帰ったかしら?」
典子が恵利香に確かめるように問いかけた。
「ええ、皿洗いのババァ達はみんな帰りましたから。大丈夫ですよ。」
「エ、エリカちゃん・・・・・」
「おはようございまーす♪」「お疲れ様でーす♪」
と、いつも、可愛らしい笑顔を欠かさず、パートで働く皿洗いのオバさん達に挨拶している恵利香が、その裏では、平然と、彼女たちのことをババァ′トばわりしていた。
"ガチャッ!"
更衣室のカギが閉められ、密室状態となった。
「どうやら他の従業員たちはみんな帰ったようね。それじゃぁ、話を始めましょうか。」
典子が、口火を切った。
「エリカちゃん・・・。前から聞きたかったんだけど・・・」
「何でしょうか?」
「最近、食材の仕入れ量が変だよね・・・」
松山は、ここ1、2ヶ月の仕入れ食材の状態をパソコンで調べていた。だが、どうも業者から仕入れた量と、実際に食堂で使われた食材の量に、かなりのズレがあることに気付いた。仕入れ業者に問い合わせてみたが、確かに仕入れた量には間違いがないということだった。一体どういうことだ?食材を業者に返品した形跡も、処分した形跡もなかった。となると、何者かが仕入れた食材を外部に横流し≠オているのではないだろうか?だが、そんなことを調理員が、ましてや皿洗いのパートのオバサン達がするはずも、できるはずもなかった。そんな事務処理≠ェ可能なのは、管理栄養士の恵利香しか思い浮かばなかった。
「フッ。やっぱりバレてるんだぁ。」
恵利香が大して悪びれた素振りも見せずにあっさりと答えた。
「エリカちゃん・・・一体どうしてこんなことを・・・?」
「私が今、付き合っているカレシがファミレスで働いていましてねぇ。そのカレシに頼まれたからつい、やってしまったんですよぅ。あとはズルズルと・・・あの業界も競争が激しくて大変なんですよぅ。」
恵利香が新品のこげ茶ロングブーツで包んだ美脚をクロスさせながら白状≠オた。そして、おどけたように肩をすくめた。
「私のコト会社に話すんですかぁ?」
「告げ口はしたくないよ!もう二度とこんなことしないって約束してくれよ!エリカちゃん。」
「フフッ。松山さんってお人よしねぇ。」
あまり反省の色が見えない恵利香の姿に松山は仏頂面になった。
「でも・・・、松山さーん。私の方も聞きたいことがあるんですけどぉ・・・コレ見てもられますかぁ?」
恵利香が携帯電話の画面を松山に向けた。そして口元に笑みを浮かべながら、ムービー画像をスタートさせた。
「グエッ・・・?!」
松山の顔からみるみる血の気が引いていった。そのムービー画像はまぎれもなく、先日、この更衣室で恵利香のロングブーツを執拗に貪った松山の姿だった。
ボー然として、ビデオデッキのポーズボタンを押したかのように体が固まった松山に典子が冷たく言い放った。
「あなた、マネージャーのクセに何してんのよ。」
「も、申し訳ありません。」
「申し訳ないじゃないでしょう?か弱い乙女の心傷つけるようなことしてさぁ。コレじゃぁ、人のことエラそうに説教できないんじゃない?」
ひとつのムービー画像が両者の形勢を一気に逆転させた。
「おかげで私、新しいブーツ買うはめになっちゃいましたよ。あんな姿見ちゃったらもう履けませんよねぇ・・・あのブーツ。お気に入りのブーツだったのに・・・ホントに、痛い出費でしたよ!」
新品のこげ茶ロングブーツを松山に見せつけながら恵利香が言い放った。そしてニヤリと唇の端を曲げた。
「ウウッ・・・ウウッ・・・」
松山のわきの下を冷や汗が流れた。そして、口の中はカラカラに渇いた。ただ、うろたえるしかない松山に典子が命令口調で言い放った。
「まずは、川尻さんに謝罪文を書いてもらおうかしら。いいわね。」
典子が紙とボールペンを差し出した。松山は床に紙を置き。正座をして謝罪文を書き出した。だが、松山の頭上では、典子と顔を見合わせた恵利香が見るからにズル賢そうな笑みを浮かべていた。そして、ポケットから愛用の『グッチッチ』の黒皮手袋を取り出した。企んだような笑みを浮かべながら両手に皮手袋をはめた恵利香が自分のロッカーを開けて中から一枚の封筒を取り出した。
「書けました。」
「どれどれ。じゃぁ。この封筒に署名して。」
恵利香が差し出した封筒の裏側に、松山が自分の氏名を書いた。松山が手渡した封筒を、手袋をはめた手で受け取った恵利香が、ピンク色の唇をゴム細工のように横に広げニヤッと笑った。
「フッ。フフッ。フフフッ。ハッハッハッハ。コレでこの封筒にはアンタの指紋がついたわけだ(笑)。私がなぜ手袋をしたのか考えなかったのかしら?」
「・・・・・?」
恵利香が、松山が答える間もなく署名したばかりの封筒を裏返して表側を松山に見せた。
「?!・・・コ、コレは・・・?!」
恵利香が持った封筒の表側には何と『退職願』の文字が印字されていた。
"ボカッ!""ドカッ!"
間髪入れずに恵利香が、狙いすましたように正座した松山の下腹部に向けてロングブーツの蹴りを浴びせた。
「ウグッ!ゲホゲホッ!」
「ハハハ。引っかかったわね。フフッ。こんなもの・・・いらないわ(笑)」
ビリッ!∞ビリビリビリッ!∞グシャアッ!∞グジャグジャアッ!
恵利香が、たった今松山が懇切丁寧に書いたばかりの謝罪文≠まともに読みもせず、手袋をはめた手で破り捨てた。そして、ロングブーツのヒールと靴底で勢いよく踏み潰した。恵利香には謝罪文など始めから必要なかった。松山の指紋が付いた封筒さえ手に入ればよかったのだ。
「フフッ。あとは私が作った文章≠この封筒に入れて本社に送りつければいいってわけだ。ハハハハハッ。」
■□■□■ 『このたび、私、松山浩二は 食材仕入れ管理において不正行為を致しました。誠に申し訳ありませんでした。責任を取ってマネージャーの職を辞する考えでございます。・・・・・』 ■□■□■
恵利香は、松山が典子と打ち合わせをしているスキを見計らって、あらかじめ松山のパソコン上のワードで退職願≠作成していた。文書はめったに開かないフォルダに紛れ込ませて隠してある。じきに調べに来るであろう本社人事部の人間が来た際に見せるためだ。もちろん、指紋が付かないように両手にしっかりと皮手袋をはめてキーボードを叩いたのは言うまでもない。口元に薄笑いを浮かべながらニセ文書を作成し、『グッチッチ』の皮手袋をはめた手でマウスをクリックした。ズル賢い女・川尻恵利香。初めから松山を罠にはめるつもりで更衣室に連れ込んだのだ。
「フフッ。アンタさぁ。吉野さんのブーツばっかりジロジロ見てるんだってねぇ。」
「ウウッ。」
図星だった。職場で白長靴しか見られない飢餓状態≠ェ松山をそうさせてしまった。典子は松山を見つめて腕組みしながら恵利香の言うことに黙ってうなずいていた。
「フフフ。アンタが食材のことをコソコソ探り始めたことは、こっちはとっくにお見通しよ。まったく、余計なことしてくれたもんだわ。おかげで私は絶体絶命のピンチ・・・。フッ、でもブーツが私を救ってくれたわ。フフッ。更衣室の蛍光灯が切れた時、チャンスが来たと思ったわ。私、普段、ブーツはロッカーの中に仕舞ってあるのよ。だけど、あの時は外に出しておいた・・・。フフフフッ、エサ≠撒いておいたのさ(笑)。そして更衣室に向かうアンタの後を付けていった。フフフッ。そしたら、見事にブーツのエサ≠ノ喰らいついてくれたわ。ダボハゼみたいにねぇ。フッ。フフッ。クファハハハッ。アーッハッハッハッハ。」
恵利香が、勝負をものにした自信をみなぎらせるように大声で笑い出した。松山は、自分が徐々に逃げ場のない袋小路に追い詰められているような気がした。
「フフフ。完全犯罪≠達成するには誰かを生け贄にしなくちゃいけないのさ。フフッ。アンタがその栄えある生け贄に選ばれたってわけよ。ハハハハッ。」
「ウウッ。な、何言ってるんだよ!エリカちゃん!・・・よ、吉野課長補佐!」
松山が命乞いするような眼差しで典子を見た。だが、典子は冷たく言い放った。
「私の立場としても、有能な栄養士さんに出て行かれちゃ困るのよ。だけど、あなたみたいにただ、ペコペコするしか能がないようなマネージャーだったら代わりはすぐに見つかるわ。フッ、天秤にかけるまでもないわ。」
「ウウッ・・・」
「フフッ。そういうコトッ・・・。もう、私と吉野さんで口裏合わせ≠キる手筈は済んでるのよ。フッ。邪魔者が片付く一方、私の食材横流しがもみ消せる一石二鳥。ウフフ、邪魔者が片付く一方、私とカレシとの関係も引き続き良好の一石二鳥。フフッ、どう?」
「ウウッ。エ、エリカちゃん・・・。こんなコトして気が咎めないのか?」
「・・・・・別に・・・・・」
「ウウッ・・・ウウッ・・・」
恵利香が皮手袋をはめ直しながら、冷血動物のような目を松山へ向けた。
「フフッ。食堂では衛生管理が何より大事なのさ。だからゴキブリ≠見つけたら直ちに駆除≠オなくちゃ。フフッ。あのムービー画像みたらゴキブリにしか見えないわよねぇ。フフフ。だから今日はゴキブリ駆除を楽しむためにアンタ、ゴキブリの体と同じこげ茶色のロングブーツを履いてきたってわけ。フフッ、ゴキブリに殺虫剤をかけて罪悪感を抱く人間はいないわ。ハハハッ。ウハハハハッ。」
"ドカッ!""ボカッ!""ドスッ!""ボゴッ!"
「ウウッ・・・ウウウウッ」
恵利香のゴキブリ駆除≠ェ始まった。松山を害虫のゴキブリに仕立て上げて、優越感をたっぷりと堪能するために、新品の『ポールサイド』こげ茶色ロングブーツの良質の皮でその長い美脚を包んだ。言葉で表せない、たまらない優越感だった。そして、このロングブーツはどんな殺虫剤を使用するよりも効力≠ェあった。恵利香のブーツ蹴りで体をくの字に曲げながら後ずさりした松山が、あっという間に更衣室のコーナーに追い詰められた。そして恵利香が、逃げ惑うゴキブリを一気に踏み潰すように、冷酷に笑いながら執拗に甚振った。
「ハハハハッ。たまんないわ。オラァ。オラ。オラァ。早くくたばんなよ!ゴキブリ野郎!ハハハハッ。」
"ボゴッ!" "ドカッ!" "ドスッ!" "ボカッ!"
「ウグァーッ。フグァガガァーッ。」
恵利香が、涙目に鼻水をズルズル出した松山を容赦なく蹴り上げた。バックにオーナーサイドの典子を味方につけ、自分はしっかりと安全圏に身を置いた上で、新品のロングブーツで獲物を甚振る味は、管理栄養士の自分が考えたどの食堂メニューよりも格別の美味≠セった。ズル賢い女・川尻恵利香。
「ウウウッ・・・ウウウッ・・・インチキー!! インチキーィッ!!」
松山が思わず密室の更衣室内に響き渡るように大声で叫んだが、すかさず恵利香が『グッチッチ』黒皮手袋の分厚い両手で口をふさいだ。
「静かにしろーォラァ。ガタガタ騒ぐんじゃねぇよ!」
「ウグググァ。ググググァ」
恵利香の皮手袋でふさがれた口をモゴモゴさせた松山と正対して腕組みをした典子が、薄く笑いながら冷淡に言い放った。
「フフッ。今さらジタバタすんじゃないわよ。騒いだってムダよ。」
「フフッ。そうだよ。ババァ達は帰ったんだよ!アンタの好きな歯欠けババァはね。アハハハハッ。」
「ウグァググググッ。」
「これから、私達が考えたシナリオ≠ヌおりに動いてもらうわよ!いいわね。フフフフッ。ハハハハッ。」
コーナーに追い詰めた松山に、とどめを刺すように典子がロングブーツのヒールを松山の体に突きつけた。オーナーサイドの優位な立場を見せつけるように、首からぶらさげた、その美貌の写真付きのK社社員証を松山へ向けながら、グリグリと踏みつけた。
既存の食堂運営が評価され、新たに喫茶室をオープンする話も出ていた。
「オレの人生、ようやく陽の目を見るときが来た!」
「お客様に焼きたてのパンと豆を挽いた温かいコーヒーを提供したい・・・」
松山のそんなささやかな、ほんのささやかな夢も恵利香の美脚ブーツに打ち砕かれた。 一足のロングブーツが一人の女をピンチから救い、一人の男を奈落の底へ突き落とした。たかがブーツ、されどブーツだ。

終わり
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